2025年7月14日月曜日

コンパス農業部 始動 !

こんにちは、 日に日に暑さが増し最高気温が記録される今日このごろ


皆様はどうお過ごしでしょうか?

コンパスブログ初登場になります、megu です。



“コンパス農業部よりご挨拶”





以前インスタで簡単にご報告いたしましたが、5月より新しく農業部、通称ファーマーズが発足しました。


野沢温泉村内で杉苗業をを営む方より、杉苗栽培のノウハウを日々教わっています。


発足より早2ヶ月経ち今日に至るまでのネタが溜まってきましたので

アウトプットも兼ねて荒削りではございますがご挨拶も兼ねて

少しばかりブログにて綴らせていただきましたので一読ください。



”コンパス農業部の実態”



まだ毛無山に雪が残る5月某日


農業部が発足し奮起していた私(megu)でしたが始まるや否や農業の師匠(以後親方)より

かなりの量のタスクを言い渡され、スタッフのスケジュール調整が難航。


一時はどうなるかと思いましたが、スーパースタッフMikkoさんの活躍もあり畑作りから

二年生苗(昨年から越冬した苗)の植え付け、種蒔きの連日の作業もなんとか終えることができました。


なんとか作業を終え、ホッとしたのも束の間、、、


種を蒔いたタイミングが遅く除草剤が撒けなかった為、なんと雑草(スベリヒヨ)が無数に湧き出てくる始末。。。







スタッフ総出で1週間かけてピンセットで取るというこの遠くなる作業を乗り切り、

気付けばあっという間に5月が過ぎていきました、、


6月に入ってもタイミングを見計っては草とり、草刈り作業。場合によって様々な農業機械を用いて

苗たちがしっかりと育つように定期的に除草剤、除菌剤、殺虫剤等の散布を行いました。







上の写真は、カラマツの2年生苗です。


植えた時は枯れ葉のような色でしたが今では緑色に変わりスクスク育っています。


農薬も駆使した甲斐もあり現在幼苗(2ヶ月で2cm)、出荷用の苗も元気に育っており

昨今当たり前になっている現代の農業の凄さと生命の尊さを目の当たりしました。





杉 生後2ヶ月🌲





カラマツ生後2ヶ月🌲



親方との関係と作業の本格化


元より口数が少なく、THE昭和の男という頑固な、でも頼り甲斐のある親方。


私MEGUは、そんな親方の後を必死で追い回し、少ない口数から独り言のように溢れてくるヒントに耳を立てているうちに

親方との信頼関係が深まり、トラクターの免許皆伝まで漕ぎ着けました!!


親方も80代後半でいらっしゃり、廃業を検討していたくらいなので、農場に出られるのはおそらくこの夏が最後。


最初で最後のチャンスをものにすべく私も必死です。


心なしか親方も私たちとの作業を楽しんでくださっているように見えてきました。


こうして親方と打ち解けるにつれ作業は本格化。


苗、畑、薬品の管理方法、トラクターの乗り方(植え付け、耕運作業)、農機具の使用方法を教わり

畑に出向き日々実践にて鍛練しております。






乗っている人には分かりますが場所によって真っ直ぐ耕すのが難しい。。


7月からは草刈りをメインとした作業と薬剤散布作業の頻度が上がります。


同時に取引先の会社の引き継ぎもあったりと盛りだくさんの日々が続きそうです!


ちなみにこの暑くなる時期から苗たちはグンと成長するそうですので是非ドライブがてらランニングがてら

苗の成長を見にきてあげて下さい。

(もれなく野生の汗だく部長が見れるかも!笑)



“コンパス農業部発足の経緯”






そもそもなぜ私たちドリームシップが農業にチャレンジしたのか。


ここにはアツい思いがあります。


野沢のフィールドは日本国内でも有数の豊かな自然。


夏の緑生い茂る美しい山々、連日多くのスキーヤー&ボーダー達を虜にしてを離さない冬の豪雪のゲレンデ。


この野沢のフィールドで、スキー、スノーボード、自転車を始めとする自然遊びを提案している私たちとしては、

この自然環境の保全は、もはや自分たちの遊び場を守る行動でもあり、恩返しでもあります。


そして年々深刻化している気候変動による環境問題や

さらに人口減少で後継者不足問題を抱える地元産業の衰退、縮小化に対し

野沢温泉の通年型リゾート化を目指し地域貢献に邁進する我々としては、強い危機感を覚えていました。


そんなことを思っていた矢先、ご縁があり村内で杉苗業をを営む親方と出会いました。


親方の農園は現在長野県で唯一杉の苗を畑から育てる農法で半世紀以上営んでこられました。


そんな数少ない貴重な技術をお持ちの親方もまさに後継者不足の問題に直面しておられ

この春の出荷をもって、2代続いた種苗業の幕を下ろそうとしていました。


そこで前述した我々の想いと合致しこの度私(megu)をマネージャーといたしまして

親方より技術のバトンを引き継ぎ次世代に繋がる野沢の産業を継承していく事を

目的としコンパス農業部が発足いたしました。


SDGs、地域貢献、地場産業の安定経営と、一度にあらゆる解決を目指せるインパクトを導けそうです。






“まとめ”





最後になりますが5月に発足しました農業部。


日々新しいこと続きで慣れないことが多く不安な毎日ですが

地域産業、環境問題に貢献するべく会社をあげてこの事業に我々は本気ですので

引き続き皆様のご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします🙇


PS.コンパスにて杉苗(2年生)を販売しますので合わせてお願い致します。









コンパス農業部長 浅井 周

2025年4月10日木曜日

奇跡を手繰り寄せる男、上野雄大

フリースタイルスキーのパイオニアとして、コンパスハウスの代表として、長年活躍してきた上野雄大氏。

野沢温泉村出身。


多くの自治体と同じく、昨今の著しい変化への対応を強いられている野沢温泉村をより良くするために村長選に立候補し、現職との20年振りの選挙に挑んだ。


一般的に首長選挙において、現職は88%の勝率を誇ると言われる。

議員選挙と違い、当選はたったのひとりだけなので、現職の存在感や体制が変わることへの懸念がそうさせるらしい。


今回の野沢温泉村長選挙において実際に民意を示すのは、世界的なリゾートとはいえ、長野の北端の保守層世代が多数を占める過疎ぎりぎりの小さな村の方々。

そこに現職が16年築いた硬い地盤。

現状は、圧倒的不利とされた厳しい選挙戦だった。


そこに雄大さんは、リゾートとしての繁栄に対してシワ寄せを被る村民の生活苦というパラドックスを明るみにし、生活の改善に向けた具体的な提案を、地道に丁寧に、なにより魂を込めて訴え続けるファーストペンギンとなった。

それは野沢温泉を愛するが故の言動であり、それが多くの人の心を掴み、ムーブメントを起こし、鮮やかな逆転劇を演じてみせた。


そして投票率79%という、現代日本においては異例の注目度となった一騎打ちを見事に制し、首長となった。


人を思い、情熱を燃やす、雄大さんの人柄。

加えて、逆境になるとゾーンに入るアスリート気質が手繰り寄せた奇跡だったように思う。

思い起こせば、私は過去にも雄大さんの奇跡を目の当たりにしていたことを思い出す。













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初めて雄大さんのことを知ったのはもう20年以上前。

当時、バッドボーイな雰囲気がイケてるとされていたフリースキーシーンに颯爽と現れた、アスリート感溢れる本格派スキーヤーは、今はなき札幌・真駒内のハーフパイプを転んでも食らっても誰よりも高く飛び続けていた。


その後、世界で戦うレベルにまであっという間に登り詰め(もちろん人並みはずれた努力あってのこと)、一躍雑誌やテレビの中の人となった。

そして世界トップライダーが揃ったワールドクラスのコンテスト『NFO』で日本人唯一のファイナリストとして躍動し、奇跡を手繰り寄せた。

幸運にも、鳥肌の立つ瞬間を私は目撃することができたのだった。


その後もワールドカップや世界選手権出場など数々の奇跡を起こし、常にシーンの先頭で、私たち日本人のフリースキーヤーにワールドクラスの景色を見るチャンスを与えてくれた。

そしてまだフォーマットも何もなく、遊びの延長に留まっていたマイナー競技において、後に海外転戦する後続に道を示したファーストペンギンだった。



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そんな雄大さんが、アスリート引退後の第2の人生として選んだ道が、地元野沢温泉に開いたスキーショップの経営だった。

『コンパスハウス』というブランドで、自身の経験とスキーの魅力を伝える活動をしていたわけだが、ひょんなことから『事業を手伝ってくれませんか?』とお誘いをいただいた私。

身に余る想いに驚いたが、熱意に共感して共に汗を流すことに。


するとフリースタイルスキー界のパイオニアは、近づくほど誰よりも人間臭く、とても雑誌やテレビの中の人とは思えぬ、無垢な親しみやすさで手の届く距離にまで下りてきてくれた。

この人柄が仲間を作り、ファンを作り、背中を押す応援の風を作るのだ。


それから9年間、雄大さんの右腕として過ごし、今回の奇跡を手繰り寄せた瞬間に立ち会うこととなった。



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この9年間、雄大さんとは、ビジネスでのアシスタントとして

カナダや北海道利尻島、大雪山、立山などを含む国内外の雪山での冒険のクルーとして

あるいは山岳レースのバディとして

数えきれない厳しい状況を共に過ごした。

そして厳しい状況にいる上野雄大を、およそ日常生活では見ることのない姿を、真後ろから支えて来た。











そんな私がおこがましくも思うこと。

雄大さんは、厳しい状況にあればあるほど、集中力が研ぎ澄まされ、ギアが一段と上がる。

私など厳しさに負けて妥協し始めてもなお、自らを奮い立たせ一歩を踏み出す。

その逆境でのメンタルの強さは超人と呼ぶに相応しかった。


なるほど。

このメンタルにしてこれまでの功績なのだ。


それでも当人は、そんな輝かしい過去すら『何も成し遂げていない』と悔やむ。

どこまでも歩みを止めない男。

奇跡を手繰り寄せる人とはこういう人なんだろう。


多忙の投開票日前夜に、二人きりでそんな会話をもった不思議な時間があった。


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雄大さんは、圧倒的不利とされた孤独な戦いで、転んでも食らっても立ち上がり、神がかった公開討論会や演説で戦況の風向きを変え、どんどん増える仲間の期待を背負って誰よりも高く飛んでみせた。


想像できるだろうか。

見ず知らずの人も含めた全住民に、自身が首長に相応しいか判断されるその重圧を。


本人はもちろん、ご両親やご家族、そして雄大さんを支える多くの仲間の涙。

重圧から解放され、大事を成し遂げた者のみが知ったであろう歓喜。

人生の中でも忘れられない瞬間だった。


そろそろ、ご自身で自分を褒めてみてもいいのではないか。






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当選の知らせを受け、私はこれで雄大さんの事業を真っ向から継ぐこととなった。

同時に残念ながら雄大さんの右腕ではなくなり

雄大さんは、また手の届かぬ新聞やテレビの中の人になってしまった。

嬉しくも寂しい、でも心の底からめでたい奇跡。


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雄大さんは村長として第3の人生を歩み始めた。

愛する地元野沢温泉にさらに貢献する茨の道。

決して簡単な道ではないだろう。


でも初登庁の時のアスリートらしさが醸し出す凛々しさと

首長らしからぬ深々とした謙虚なお辞儀を見れば、期待せずにはいられない。

こういう政治家が増えれば日本は変わると断言できる光景だった。







雄大さんが、その情熱をかけて『豊かな村にする』といえば、本当に豊かな村になる予感がする。

かつて雄大さんが、ワールドクラスのスキーシーンに割り込んでいきそのシーンを身近に見せてくれたように、今度は政治のシーンに割り込み政治を身近にしてくれるはずだ。


ここからさらなるムーブメントが始まる。

多くの地方再生のきっかけになるかも知れない。

空白の30年間を生んだ政治とその世代の政治家へ向けた答えを探し出す希望さえある。


多くの若者が、政治に関心を寄せ、政治の会話がカジュアルになりますよう。

政治が真に人のためのまつりごとでありますよう。


私たちも一員となり、それぞれの立場で雄大さんの意思を継ぎ、奇跡を『つなごう』ではないか。





株式会社ドリームシップ

代表取締役

河口尭矢